Vol.02 – グローミング

薄暮が続く夜の街並(3月の21時頃)

2014年から1年間イギリス・スコットランド地方のグラスゴーという街に住んでいました。

グラスゴー芸術大学のインテリアデザイン修士コースに当時通っていたのですが、留学先を選ぶにあたって、高い緯度に位置する建築に強い大学ということを条件にして、探していました。

高い緯度に位置するということにこだわった理由は、日の昇る高さが夏と冬で大きく差があり、日の光が人々の暮らしや文化にどのような影響があるのか、自ら体験しながら学んでみたかったからです。


はかなく移りゆく美しい空への想い

街の公園などを歩いていて特に印象的だったのは、暮れていく太陽を人々が惜しむように眺めている光景でした。グラスゴーは緯度55°と高緯度に位置しているため、夏は23時くらいまで薄明るい時間が続きますが、冬が近づくに連れ、太陽が沈む時間がどんどん早くなります。

スコットランドには、日が沈んだ後の空を表す言葉としてGloaming(グローミング)という表現があります。翻訳すると「薄暮、たそがれ」という意味で、TwilightやDuskに由来する言葉です。

彼らの英語は非常に特徴的で強い訛りがあり、ネイティブスピーカーでも聞き取りづらいと言われますが(私も、何度も何度も聞き返す場面があり、いつも申し訳ないと思ってしまうのですが…)、スコットランドの人々はスコットランド人であることに強い誇りを持っていて、自分たちの文化や考え方をとても大切にしています。元々は古い英語であるGlomungという言葉が、今のGlow(輝く)の意味として使われていました。やがて、時代の中で英語(English)として長い間使われることがなくなったのですが、スコットランド人の言葉(Scottish)として使われ続け、18世紀頃には再度英語として認定され、日が暮れていく様子や暗くなるさま表す言葉として使われるようになったそうです。

実際には、夕方を表すのに日常的に使う言葉としてはEveningなどが一般的で、Gloamingをわざわざ使うケースというのはほとんどないそうですが、ポエムや歌詩の中で、自分の想いや感情として表現する叙情詩として使われているようです。

長い年月変わらずに言葉として使われ続けた背景には、それだけスコットランドの人にとって、日が暮れていく時間というのが彼らの心情を表す大切なものだったということに尽きるのだと思います。この美しい空の色を表すGloamingは、彼らのひとつのアイデンティティなのかもしれませんね。

夕暮れの ケルビングローブパーク (9月の20時頃)

夕日が沈むのを惜しむ人たち

日本文化にも存在する言葉に宿った感性

私たちが使う日本語でも、太陽が沈み始める時間帯を表す言葉として、薄暮、夕暮れ、日の暮、黄昏、日の入、入りがた、夕べ、夕間暮、薄闇など、たくさん存在します。空の美しさだけではなく、物事のはかなさや静けさ、寂しさの表現として使うこともある馴染みのある言葉です。逢魔が時(王莽が時)など、何か大きな災いが起こりやすい時間帯としての意味を表す言葉もあり、何か私たちの心情を静かに揺れ動かす、そんなチカラを感じますね。

しかし、現代の多くの人はオフィスの中で朝から晩まで煌々と明るい白色の蛍光灯の下で仕事に追われ、外に出たときにはもう空は真っ暗で、無骨な街灯に照らされながら帰路につくのが当たり前なのではないでしょうか。子どもの頃は、夕暮れが学校や外で友達と遊ぶ時間の終わる合図で、楽しい時間が終わってしまう寂しさを感じたものですが、大人になるにつれて、そうした空の色で時間を感じることも少なくなりました。

時代とともに、言葉も生活様式もファッションも変わっていきます。スマートフォンやAIが当たり前の現代では、コミュニケーションの方法も言葉が持つ重みも違います。GoogleやYahoo!で検索すれば何でもすぐにわかるし、表現の方法もブログやYoutubeなどの動画、テクノロジーを使ったアートまで様々です。しかし、かつてスコットランドの人が激変する時代の中でもアイデンティティを言葉として守ってきたように、私たち日本人もまた、これまで先代が築いてきた光の情景を表す「言葉」の中にある素晴らしい感性やアイデンティティを忘れず、後世に伝えていくことが大切なことなのかもしれません。